西安(Xi'an)2000.8 | ||
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■西安について■ 紀元前221年に中国を初めて統一した秦王朝が首都を置いたのがここ西安のすぐそば、咸陽という所でした。西安が首都となったのはその後の漢の時代、それ以来、数々の王朝がここを首都としてきました。漢の時代にはシルクロードの出発点となり、唐の時代には玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの舞台となり、遣唐使がやってきたり、三蔵法師が旅立ったり、何かの本で読んだような歴史的な出来事の多くがこの街を舞台に繰り広げられました。歴史に興味のある人なら一度は訪ねたい土地です。 ところが、筆者はあまり歴史に興味がある方では無くて、今回西安を訪れるに当たって急場仕込みに井上靖の「天平の甍」などを読んでみましたが、どうも関心が沸きませんでした。これじゃ西安を訪れる意味がないなあ、と思っていましたが、視点を変えて中国革命史における西安というテーマを掲げて行って来ました。これなら興味あります。ですからここでの西安紹介も現代史の史跡中心になってます。あしからず。 ■見所■ 西安は思いの外新しい街でした。古い遺跡は数多くありますが郊外に散在しています。市内の物は改修されていてあまり面 白くありません。古い町並みが見れるのは鼓楼の西北にある清真大寺周辺で、この辺りには屋台が沢山出ています。街はとても広く、歩いて移動するととても疲れます。市内の主な革命史の遺跡は… 1.西安事変記念館:1936年当時、日本軍が中国侵攻を進めている中、中国国内では国民党と共産党の間で内戦状態が続いていました。共産党を殲滅しようと躍起になっている国民党の政策に業を煮やした張学良と楊虎城は、国民党のボス・蒋介石を逮捕してしまいます。そして蒋介石に、共産党と協力して日本軍を迎え撃つように約束させました。これを西安事変と言います。この記念館は当時の張学良の邸宅の跡で、ここで張学良と共産党の周恩来、国民党の宋慶齢・宋子文が会談を開き蒋介石に停戦を迫りました。 2.八路軍西安辨事処記念館:西安事変の後、合法的に活動することが一応は約束された共産党は西安に活動の足場を作りました。それがここです。ここには周恩来をはじめ共産党の幹部の生活した部屋が残されています。ちなみに合法化されたとはいえ、共産党は常に監視の対象とされ、当時西安は「人口10万・特務3000」と言われたそうです。 3.楊虎城記念館:西安事変の首謀者の一人、楊虎城の邸宅跡です。 4.華清池:西安郊外にある有名な温泉です。楊貴妃が入浴した風呂がある事で有名ですが、西安事変の時、蒋介石がここに疎開していてここで捕まりました。当時の蒋介石の部屋が残されています。 ちなみに西安市内の歴史的遺跡としては、城壁(割と新しく、上を歩き回る事が出来る)、大雁塔・小雁塔(共に唐代の寺)、鐘楼・鼓楼(この辺りが街の中心)・清真大寺(モスクだが見た目は中国の寺と変わりない) 等があります。 郊外には有名な兵馬ヨウ(ヨウはにんべんに甬)、始皇帝陵、華清池などがあります。 ■交通■ 日本から直行便があります。JASが成田と関西から(冬の間は運休になっているようです )、中国西北航空が名古屋から定期便を飛ばしています。 空港は市内から50km程離れています。空港から市内の民航切符売り場までバスで20元・所用1時間。市内からは民航切符売り場から1時間に一本(毎時正出発)。バスの発着所は街のはずれにあり、駅まではタクシーで10元以上かかります。市内から空港までタクシーに乗るとかなりのお金が必要です。 市内バスは充実していますが結構混んでいて、ガイドブック・ロンリープラネットによると「pickpocket's paradise(スリの楽園)」だそうです。ご注意を。 長距離バスターミナルは市内に沢山あります。一番便利なのは駅前のターミナル。ここからは各地にバスが出ています。臨汾・宝鶏・運城等へは豪華バスが20分おきに、また漢中・鄭州・開封への豪華バスもあります。 郊外へのバスは駅に向かって右にある駐車場から出ています。 兵馬ヨウ、始皇帝陵、華清池は同じ方向なので一本のバスで行けます。また華山へのバスもここから出ています。 ■宿■ |