武漢(Wuhan)2002.7/1989.3

 


長江にかかる長江大橋。いつも交通渋滞を起こしていて渡るのに時間がかかるが、武昌と漢陽・漢口をつなぐ重要な橋だ。


毛沢東の別荘の入り口。 入場料10元で誰でも入れるが、ほとんど知られていないので客はまばら。


水泳が大好きだった毛沢東が泳いだプールだが今は一般解放されている。


毛沢東の執務室。他にも江青の部屋などがある。


気持の良いテラス。毛沢東はここで文革の構想をねったのだろうか。


黄鶴楼。三度目の建て直しを経てすっかり近代的な高層建築になっている。写真は1989年。

■武漢について■
武昌・漢口・漢陽という三つの街が合体して武漢といいます。昔の街は漢口、新しい街が武昌、地味な街が漢陽です。三つ合わさっただけあって広大な街で、歩いてはとても見て回れません。というかわざわざ見て回る程の見所はないので疲れるだけ損。 ここは三峡下りの終着点になる所なので、船の上で運動不足になった体を鍛え直すには丁度いいかもしれません。 また三国志マニアの方は赤壁や荊州に行かれる際の拠点になります。
漢口には昔、列強が作った古い建物があるし、新しい巨大な駅もあるので滞在するならこっち方が良いでしょう。武昌は長江をはさんで漢口の対面にあり、主だった観光地はここにあります。


■見所■
●東湖---武昌にある巨大な湖です。おそろしく広くて何がなんだかよくわかりません。近所に博物館や 武漢大学があります。ここへは漢陽門フェリー乗り場(長江大橋のたもと)から14番の、武昌駅近く紫陽路から578番のバスで行けます。
●毛沢東別墅---毛沢東お気に入りの別荘で、1960年から74年までの間、北京でイヤなことがあるとよくここで引きこもっていたそうです。東湖湖畔の東湖賓館の敷地の中にあります。行き方はちょっと込み入っています。東湖へ向かうバスで武漢大学の次の駅下車。来た道を戻ると毛沢東旧居という小さい看板があります。門には歩哨が立っているのでかなり緊張しますが、入っちゃいましょう。そのまま道なりに10分歩くと軍の駐屯地があり、その先に別荘があります。別荘がある東湖賓館は広大な敷地を有する高級ホテルで、正面玄関から入っても別荘に行けますが、道がわかりにくいです。正面玄関にも兵隊が立っているので、やっぱり緊張します。「毛沢東の別荘に行きたい」と言えば入れてくれるので行ってみましょう。緑が多くてくつろげるし面白い所です。
●黄鶴楼---李白の詩にも歌われた有名な所ですが、新しく立て直されて巨大建築になっています。登ろうとすると足が棒になります。

武漢は中国近代史の中で二回歴史的な役割を演じています。一回目はここで起こった武昌起義、もう一回はここに作られた武漢政府の所在地としてです。
孫文が清朝を倒した革命を「辛亥革命」といいますが、その革命の口火を切って1911年に武昌で武装蜂起が起きました。その記念館が「武昌起義軍政府旧跡」です。
孫文が死去したあと、1927年には国民党は二派に分裂してしまいます。一つが南京に首都を置いた蒋介石の右派、もう一つが武漢に拠点を置いた左派です。この時の左派は共産党とも仲が良く、この間毛沢東も武漢で活躍していました。この時代に毛沢東が作った学校が「農民運動講習所旧跡」です。翌年、共産党は国民党と仲違いして、国民党は蒋介石の元に統合され、首都も南京に移されることになります。


■交通■
武漢には主な鉄道の駅が二つあります。漢口駅の方が大きくてメインのようですが、武昌駅からも始発列車が沢山出ています。 バスなら武昌駅に向かって左側にターミナルがあり、長沙や岳陽行きが出ています。また駅から30分歩いた所に武昌長途客運站があり、主だった所へのバスがあります。漢口については行ってないのでよくわかりません。

■宿■
武昌駅を出て右に100m程の所にある嘉葉賓館はシングル148元、ツイン168元から(定価はその倍以上)でドライヤーまで付いた快適な宿です。
その昔、武漢に来たときには勝利飯店というホテルに泊まりましたが、ここはさだまさしファンにはとても有名な所です。彼のお母さんが昔勤めていたそうです。そんなわけでこの街には沢山のさだファンが集まってきます。念のために申し上げておきますが、私は全然ファンじゃない。