成都の交通飯店というバックパッカーが集まるホテルにある交通旅行社で、九寨溝3泊4日、830元のツアーに申し込んだ。そこの料金表には他に1000元/1600元と各種のツアーがあったが、値段の差はホテルのグレードの差で、その他はおおむね同じだという。どうやら従業員も良く内容を理解していないようで、「バスはどんなだ?部屋はどんなだ?」と突っ込んだ質問をすると口を濁してしまった。要領を得ないのだが、830元のコースなら例えポンコツバスだろうが、トイレなしの部屋だろうが、自力で按配して行くより安そうなので参加を決めた。
ツアー第2日目の夕方。バスは一軒のホテルの前に横付けされた。ガイドの小姐はバスを降りるが、乗客は誰も動こうとしない。さっきから乗客の表情が険悪になっていて、それぞれにこれからどう戦おうか、戦略を立てている様子が伺える。西日に照らされて、バスの中の温度はぐんぐん上昇してゆく。
日光が極めて強力な光線で照らしだしているそのホテルの壁は、「ペンキ塗り立て」の注意書きが残っているのでないかと思うほど真っ白に輝いている。だが、その表面
的白さとは裏腹に構造的には貧相で、どこからかトイレのアンモニア臭がただよってくるような錯覚すらさせる。窓には泥棒よけの鉄格子が渡してあって、まるで刑務所のようだ。
バスは九寨溝の町に入ったときから何度か道端に停車し、ガイドは電話をかけたり、地元スタッフと話し合ったりしていた。その間、ガイドと乗客の間に早口の会話が交わされていて、何を言っているのかはっきりとは解らないが、どうやら今夜泊まる宿がないようなのだ。
そうして、うろうろした揚げ句に横付けされたのがこのホテルだった。ガイドがしきりに「外見ほど悪い部屋じゃないから、まずは部屋を見て下さい、きっと気に入りますから」と促するので、何人かがバスを降り、部屋を覗く。僕も覗いてみる。目もくらむほど明るい外壁に比べて部屋の中は暗くて見渡しが利かない。だが目が慣れてくると、思ったほど悪い部屋ではないようだ。トイレやシャワーもあるし、内装も最近手を加えてある。これなら、一泊100元くらいはする部屋だ。この強烈な日差しもあと一時間かで夕暮れになり、そうすれば暑さから解放されるだろうし、なにより、これだけ日光を浴びていればダニやノミの棲息は困難だろうからかえって清潔というものだ。
僕はわりと気前よくこのホテルに納得し、異論を差し挟む気持ちはなかった。しかし、他の参加者は誰一人として僕ほどの広い度量 を持ち合わせてはおらず、延々1時間の根比べが始まってしまった。
しばらくは誰も何も言わず、腹の探り合いをしていた。言葉ではなく、態度で決意を示すように、むっつりと眉間にシワを寄せて怖い顔をしている。まるで悪さをした息子に威厳を示す父親のようにガイド嬢を威圧する。
「言いたいことはわかるだろう。このホテルでは納得できない」
どの目もこう言っている。
ガイドは腕を組んでやはり無言でこれに対峙していたが、どうもやり切れなくなったようで、口を開く。
「今の時期、九寨溝はとても混んでいますので、他にホテルがどうしても見つからなかったんです。今夜はここで我慢して戴いて、明日は必ず満足していただける所を押さえますから」。
「見つからないなんて言い訳を言うな。そもそも、前もって予約をしておかないからいけないんだ。もっと予算を上げれば他にホテルはあるはずだ」口火を切ったのは北京から来たおっさんだった。
「こんな部屋に泊まるなんて話が違う。申込書には“標準房”に宿泊すると書いてある。こんな“標準房”は聞いたことがない」と広州から来たあんちゃん。
「テレビが付いていない!これじゃ夜退屈だ!」と海南島から来た青年。
「ガイドが宿代を浮かせて差額を儲けようとしているんだ。君もそう思うだろう?」と意見を求めてくる大同から来たおやじ二人組。
「私は1600元も払って来ているんだから、同じ部屋なんておかしいよね」と若い女を連れた日本人のおじさん。
文句が噴出した。
西日はいよいよセメントで固められた地面に照り付け、気温はどんどん上がってゆく。言いたいことを言い出して、後には引けなくなった参加者全員の体温も上昇の一途をたどる。こうなってしまっては誰かが水でも浴びせてこの場所全体の温度を下げるしかない。
みんなの言いたい放題の文句を一人で浴びていたガイドさんは、いちいち反論したり、言い訳したり、懐柔したり、すでに30分も奮闘していた。ところが突然、誰も乗っていないバスの中に駆け込んだと思ったら物陰でメソメソと泣きだしてしまった。
この涙が本物か偽物か私にはわからない。これが中国ではないところで見た涙なら訳もなく信じられよう。だが、このガイドも数多くの修羅場をくぐり抜けてきた現代の江青女史かもしれない。まあいい、いずれにせよ、この何滴かの涙で、この場所の温度は確かに何度か下がったのだから。しかもその変化に敏感に反応してこんなことを言いだしたのだから。
「ではこの先にもう一軒だけ空いているホテルがあるので、そこに案内します」。
もう30分以上こうして文句ばっかりたれていることに、誰もが飽きていたらしく、この提案は受け入れられた。しかし、若い女を連れた日本人のおじさんはまだ食い下がる。
「でも僕は1600元払っているんだから同じホテルじゃないよね」
このおじさん、ホテルのグレードを求めて、とびきり高い料金のコースに参加していたのである。それなのに、昨夜はみんなと同じ所に泊まらされて、かなり納得がいっていない様子である。ガイドは初めて知ったというふりで、
「それは知りませんでした、では、別のホテルにご案内します。」
とあっさり譲歩した。言わなかったら差額は着服するつもりだったのだろうか?メソメソ泣いたりしてみても、どこか腹黒い本性が見え隠れして、油断がならない。いったいこのガイドが行っている事のどこまでが本当なのか、疑心暗鬼がむくむくとこの場を覆いつくす。
ツアー参加者から一つの疑問が生じる。
「ところで、あなたはいくらで参加したの?」と広州のあんちゃん。
「俺は北京への列車のチケットと成都の宿を入れて全部で1280元だ」と北京のおっさん。
「えー、僕らは参加費だけで1000元だったよ」と大同のおやじ2人組。
「私は830元でした」と僕。
「それじゃ君が一番安い。僕らは850元だった」と広州のあんちゃん。(でもこの人嘘をついている。さっきちらっとのぞき見した彼の領収書には750元と書いてあった。)
「僕らは800元だったよ」と6人組の学生さん。うーん、学割だから安いのかなあ。
というわけで、このツアーには1600元から750元まで様々な値段で参加した、様々な人が寄せ集まっていたのだ。こうなると1000元で参加したのに、部屋も飯も同じ待遇の大同のおやじは間抜け面
に見えるし、750元で参加したあんちゃんはさすが広東商人、ちゃっかりしてる様に見える。
さて、ガイドさんが連れて行ってくれたもう一軒のホテルは公園の中にあった。一度入園すると切符は無効になる。入園する段になって、バスの運転手が余計なことを言う。
「中のホテルもさっきのと大差はないよ」
せっかくまとまりそうになっていたのに、これを聞いた北京のおっさんはまたガイドにつっかかる。
「中のホテルがもし、さっきのより悪かったら、入場券は払い戻せるんだろうな。」
なんともしつこい。他の連中はもう疲れていて、どうでもよくなっている。早くホテルに落ち着いて一休みしたい。今ならどんな刑務所も、五つ星ホテルに見えてしまうに違いない。だが、この北京人のおかげで、ガイドは半ベソをかきながら、公園事務所に駆け込んでなにやら交渉を始めてしまった。この半ベソはきっと本物だ。これでまた15分無駄
になった。
さて、そのホテルであるが、チェックインすると、ガイドはさっさといなくなった。あの日本人を別 のホテルに送り届けなければならないのだ。日本人は公園の門の外で待っている。かわいそうに、もう30分以上待っている。
ガイドが消えてしまったので、ホテルが悪くてもどうにもならない。恐る恐る部屋を覗いてみると、そこはまあまあの部屋だった。トイレにはバスタブも付いている。だが海南島の青年が文句を言う。
「テレビが付いていないぞ。オーナー、テレビはどうした?」
まだテレビにこだわるのである。
オーナーは「テレビは先週まであったのだけど、故障してしまった。ここじゃ修理できないので成都まで送ったから、今はないんだ」
と答えていたが、言い訳としては稚拙を極める。テレビがあった形跡は全くない。アンテナも引いていない。だが、海南島人はあっさり納得していた。きっと疲れてたんだと思う。
九寨溝に到着してから2時間以上経っていた。日が暮れてしまった。
夜、宿のオーナーとの雑談の中から、誰とはなしに、「ところで、夜のリクリエーションはないのか?」という話になった。あっと言う間に全部で800元、一人50元で話が決まる。何が起こるのかはらはらして待っていると、民族衣装を着たお姐さんがやって来て歌と踊りの夕べが始まった。宿の中庭の真ん中に火を焚いて、そこで羊を一匹屠る。お姐さん達とのゲーム大会なんかもあって、800元は無茶苦茶高いと思ったが、それはそれで楽しめた。2時間を無駄
にした九寨溝の夜はこうして、無くした時間を取り戻そうとするかの様に、熱く盛り上がったのだった。
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