1999九寨溝ツアー Part-3
 


疲れている。いつになったら終わるのだろう。
今はこの文章のことだが、このときはこのツアーのことだ。
朝から駆けずり回るように観光して、やっと帰れることになったのに、足を伸ばせない狭い空間に座らされてぐったりしていた。疲れているのは別 に僕だけではない。だれもが使い古されたボロ雑巾のように精彩がない。早く今夜の宿に着かないかなあ。と全員が、6時間目の授業を受けている小学生のような気分で待っている。15分毎に「あと何時間で着く」とか、「あと何キロだ」という話題が口をつく。

こんな退屈を紛らせるのもガイドさんの役目である。現段階ではガイド嬢と客との関係は非常に悪く、ここで修復しておかなければ、成都に帰って何を告げ口されるかわからない。そうなるとガイドのボーナスは減。ホテルが悪かった分の差額を返せなんて話になれば、給料から引かれかねない。だからここは全身全霊の力を発揮して場を盛り上げることに奮闘するのであった。

まずはガイドさんは歌を披露する。これで何人かは目を覚まし、「ヤンヤ、ヤンヤ、もう一曲歌え」なんてことになる。次にガイドさんは小咄を披露する。クイズを織り交ぜつつ客を話に参加させ、バスの中はだんだん活気づいてくる。何の話をしているかは聞き取れないが、笑いも聞こえてきてこの作戦は成功のようだ。やがて話が終わると、大同から来たおやじ二人組の一人がなかなか前向きな提案をした。
「そんな小咄よりも僕はガイドさんが16歳だった頃の話が聞きたいな。」
こうなってくると所詮おやじはおやじ。考えることは万国共通である。みんな目を覚まして催促する。
「私は16の頃は本当に純情な少女でしたよ。」
「じゃあ、初めてのデートはいつ?」と大同のおやじ二人組のもうかたっぽうが聞く。
「それは…それは16の頃だったかな」
「どこで?」「どこで?誰と?」と複数のおやじ。
「初めてのデートは…村の外れ方にとってもいいところがあって」
「イイトコロ?何が、何が?」
「それは、その場所が、夜になると人通りがなくなるので…」
と、こんな話になってしまうのである。そしてこんな話なら何を言っているかわかってしまう僕もおやじということか。
ガイド嬢は、もともと赤い頬っぺたをますます紅潮させながらも、こんな話題にもサービスよく応えている。だが、ネタもつきてきて、また車内のムードが、終電の中央線上り列車のように、静かになってしまった。

僕はこれと似た状況をどこかで経験したような気がしていた。ツアーバスの中、手持ちぶさたな乗客、ガイドの歌、と来れば次に来るのは何かというと、乗客の歌である。
これから中国に旅行して、中国人と一緒に団体ツアーに参加する予定のある方は是非一曲歌を覚えておいたらいい。曲目は何でもいいのだ。ただ、ワンコーラスだけでいいので暗記しておいた方がいい。突然だとなかなか歌詞が思い出せず、途中で歌えなくなって顔面 赤面の全身硬直、全乗客凍死というお寒い事態になってしまうから要注意である。

それは1998年に麗江に行ったときの事だ。その時もバスの中には退屈な雰囲気で充満していて、誰かがこんなことを言いだしたのだ。
「ガイドさん一曲歌って」。すると、
「わかりました、私が一曲歌いますから、その後皆さんも一曲づつ歌ってくださいね。」
みんなが一曲づつ歌って、僕が最後に残された。まさか、ガイドさんが場を盛り上げるために、一人だけいた外国人を、あえてトリに持ってきたのだとは夢にも思わなかった。僕の所には来ないだろうと全く油断をしていたから、
「では最後に、日本朋友に歌ってもらいましょう」とあっさり言われたときには全身が硬直した。乗客は、
「おーこいつは日本人なのか」と驚きと期待の表情で僕を見守る。バスの中はなんか異様に盛り上がっている。
急に歌を歌えと言われても、いったい何なら歌えるのだろう。言うまでもなく、カラオケなど装備されていないし、歌詞もない。歌の歌詞なんて覚えていない。この時僕は「北国の春」を歌ったが途中で歌詞を何度も忘れ、穴があったらそこが虎の穴でもいいから入りたいという状況に直面 してしまった。

思いだすだけで赤面するような経験を思いだしていた。いやな予感が当たらなければいいのにと思った。しかし、そういう予感に限って必ず当たってしまう。
「ではまず日本の朋友から歌ってもらいましょう。歌が駄目なら小咄でもいいですよ」
とガイドに促されて、
「えー、本日お日柄もよろしく、毎度くだらない話で恐縮ですが、御指名ですので小咄をひとつ。
よ、熊さん。おや、八っさんじゃないか。
熊さん、聞いたかい、隣の空き地に囲いができたんだってねえ…。」
と本当に小咄を披露するわけにもいかず、断っても、絶対許してくれるものではなし、こうなっては悪声・美声の問題ではなく、協調性と日中友好を問われているものと割りきって、歌うしかない。
歌ったのは中国人なら誰でも知っている「我愛北京天安門」という歌だ。

体中の水分が冷や汗になって出ていってしまうのではと思うほど緊張しながら、なんとか歌いきった。口の中はカラカラだ。だが、注射や試験と同じで終わってしまえば気楽なものである。あとは皆が冷や汗かくのを黙って見ていればいいのだ。

僕の次の順番だったのは、日本人のおじさん。以前中国に駐在していて、今回は旅行で来たらしい。このおじさんには連れがいる。若い女性だ。20台半ばの中国人だ。
「どういうご関係ですか?」と、聞きたくて仕方なかったが、聞けなかった。それは中国の人も同じらしく、参加者全員気になってる様子が目に見えていた。おじさんの方は中国語がさっぱりで、女性の方が、さっさと一曲歌ってマイクを回してしまう。「だめだよ日本の朋友も歌わなきゃ」と非難の声があがったが、それならと女性の方がもう一曲歌ってまたマイクを回してしまった。ずるいな。

で、その次は北京から来たおっさん夫婦。旅行中ずっとガイドさんに文句をたれていたこのおっさんだが、こういう場面 ではてんでだらしがない。歌い始めたのに歌詞を忘れてしまい、別の歌に替えたらその歌詞もまともに覚えていなかった。穴があったら自分で掘った墓穴にでも入りたいという心境だっただろう。

次にマイクが渡ったのは学生6人組だ。幼い顔をしていたので中学生かと思っていたら18歳だという。さすがに現代っ子らしく、最近のヒット曲をそつなく歌いこなした。
学生の後に登場したのは大同から来たおやじ二人組。二人ともマイクを奪うように歌い、おまけに小咄まで披露する。毛首席ネタの小咄で、面 白そうなのだが残念ながら聞き取ることは出来なかった。

この後、広州から来たあんちゃんの夫婦が、歌と小咄を披露し、海南島の青年も小咄を披露した。そして最後にトリを務めたのは、夏休みだからってお母さんに付いて来ちゃったガイドの娘だ。

今改めて思うとこのガイドの段取りは酷いものだった。しかし、中国で中国人を相手にツアーを仕切るなどということは、世界から戦争を無くすのと同じくらい難しいことだと思う。俺はやりたくない。だから、仕事に子供を連れてきて、乗客に面 倒を見させるくらいのことは許してあげようという寛大な気持ちになっていた。

盛り上がっていた。皆が参加してワイワイやっていると、時間はあっという間に経ってしまう。皆の心を一つにしたガイドさんの手腕は認めてあげたい。2時間半ほどの道だったが、バスは和やかな雰囲気をたたえたまま、今夜の宿に滑り込んで行った。ガイドさんは元気よく、
「今日の宿はここでーす!皆さんOKですか?」
「ハーイ、OKでーす」と乗客。
そこは水が出ないという最悪の宿だったのだが、このお話はもうこれまで。


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