西双版納は遠いところだと思った。
ここまで来るのに上海で一泊、昆明で一泊、バスで一泊を費やしている。帰るのにも同じだけかかるはずだ。それは空間的距離感ではなく、時間的距離と、心理的距離、さらに環境的距離でもある。
全部で12日しかない旅程の中でここまで来るために既に4日も費やしている、その時間的距離。うんざりするバスに24時間ゆられ、さらに帰るためにもう一度そのバスに乗れねばならないという、その心理的距離。そして、上海や昆明の都会的喧騒が生み出すせわしない苛立ちとは打って変わった、呑気な南国のたゆたう熱波、その環境的距離。
遠くに来たなと、実感として思うのだ。
西双版納の4月は暑いと思った。
まだ4月の終わりだと言うのに日中の気温は30度を超え、殺人的な太陽光線が容赦なく体中に降り注ぐ。この気温に体が順応することはついになかった。あつい。
曼飛竜の仏塔を見ようと階段を上っていた。
幾条もの汗の流れが途切れなしに額をつたい、Tシャツの袖で拭うのでその部分はすっかり濡れている。
リュックをしょった背中は、特別汗をかくので、時々背中に風を通しながら、階段を上る。何時になったら頂上にたどり着くのか、見当がつかず、既に半分登ったか、それともまだとばくちなのかもわからないまま、タバコに火をつけ、小休止する。上を見上げるが、階段はどこまでも続いて空の中に消えている。暑い。すると、上の方からオレンジ色した小さな太陽みたいな粒がてんてんてん、弾むように近づいてきて、はじけるような笑い声が聞こえて来た。小坊主たちだった。
小僧どもは、僕の周りを取り囲むとそれぞれがニッとほほ笑み、じろじろ見ている。何の用か、用などなさそうだ。きっとお昼寝に飽いて、麓まで水浴びにでも行く途中なのだ。その途中で疲れた表情で煙草をくゆらせている所在なげな外国人を見つけて、何か興味を抱いたのだろう。一人の小僧がはにかみそうに、「ハロー」と声を掛ける。「ハロー」と僕。顔を見あわせていたづらに微笑む小僧。もしかして、小遣い銭のいくらかもねだられるかも知れないと、緊張して待っていると、その小僧が意外なことを言う。
「タバコ一本ちょうだい」
みんなで煙草をぷかぷかやりながら、青空が一杯に広がった、丘の中腹からの川の眺めをぼけーっと見る。
「どこから来たの?」
不思議そうに訊ねる。
「そのTシャツカッコ悪い」
無遠慮に言う。そしてはじけるように笑う。
煙草を吸い終わると、小僧らは吸い殻をその辺に投げ、また転がるように麓に降りてゆき、すぐに見えなくなった。
小僧らがいなくなって静けさを取り戻した丘の中腹は、一陣の風が吹き抜けたようで、こころもち涼しく感じられて、また僕は、もうそんなには遠くない階段の残りをてくてく上り始めた。
西双版納の田園の風景を見ようと、自転車を借りて景洪の郊外を走り回った。
目的はなく、ただ田舎の方に気の向くまま走った。走るのにも飽きてきて、サドルに食い込む尻の痛みを感じ始めた頃、丁度小規模な村が眼に入ったので、村の中に遠慮がちに入ってみる。
こういう村の人々は、うさんくさい異国の旅人の侵入をどのように受け止めているのだろう。ずかずかと図々しくも彼らの生活の領域に入ってくるのだから、快くは思っていないだろう。だから、周囲を見回し、警戒心の目がない事を確認して村に入る。杞憂かもしれないが、少なくとも自分自身はこうした村々を、好奇の目で見ているのである。村人が歓迎してくれて居ると思うほど無邪気ではいられない。子供たちが僕の方を見て、「ハロー」と声をかけてくれて、少し気が軽くなる。「失礼して、少し村の中を見せて下さいな」口には出さぬ
がそんな謙虚な気持ちで村道を走る。
陽は既に夕方の最後の光を放っていて、その光線は柔らかく、辺り一面をオレンジ色に照らしている。いい写 真が撮れそうだと思い、カメラを取り出し、眼の前に延びる道と畑と村の家屋をファインダーの中で確認する。すると、一人の人物がフレームの中に割り込んできた。長細い棒状の物を小わきに抱え、右左を物色するように見回し、道の真ん中へと歩み寄って来た。…やばい。ライフルを持っている。その瞬間をとらえたのがこの写
真である。
反射的にシャッターを切り、そしらぬそぶりで、気づかれぬよう、目を合わさぬ よう、何事もなかったかのようにその場を走り去った。見知らぬ人物が自分の村に入り込み、無遠慮に写
真を撮っている事への警告だったのか、それともただの玩具の験し撃ちだったのか、わからない。命の危険を察知しながらもシャッターを押した、フォト・ジャーナリストとしての一面
を物語る、渾身の一枚である。
ダムを見ようと自転車でひた走った。
少し遠くの村までバスで行った帰り道、深い緑に囲まれたダムを見つけた。ホテルに帰って自転車を借りて、そこまで行ってみたいと思った。
ホテルに帰ってみるとまもなく夕立に見舞われ、身動きができず、部屋で、トタンの屋根に落ちる雨粒の轟音を聞きながら、じれったい思いで待った。
この日が西双版納最後の日だ。明日にはまた寝台バスに乗り、帰りの途につかなければならない。そう思うと、あのダムに行かないことがひどく未練に思える。自転車であのダムまで向かうとなるとおそらく1時間はかかる。そうすると、日没までに帰ってこれるか、微妙な時間である。
焦燥を感じながらじっと部屋で待つと、やがて徐々に雨音は遠くに去り、静寂が部屋を包む。しんとした静けさが何分続いたか?やがて、通 りを走る自動車のエンジンの音、クラクション、自転車の鈴の音がフェードインしてきた。耳を澄ますと、雨上がりの涼風に乗って、人の話す声が聞こえてくる。出かける準備をしていると、突然、蝉の鳴く音がカットインで聞こえ始めた。
自転車を全速力でこいでダムへ向かう。早くしないと、既に太陽の色はオレンジに変わっており、今日一日の仕事を終えようとしている。約1時間、必死にこいで道のアップダウンが激しくなる頃、すぐそばに湖がちらほらと姿を見せ始めた。急な坂道が続き、僕は尚も全力でペダルを踏む。前を走るダンプに追い付いた。古く、馬力の不足した大形ダンプカーは、果
たして動いているのかどうか見分けられない程のスピードでエッチラ走る。立ちこぎで頑張って、ダンプを追い越しながら運転席をのぞき込むと、運転手と目が合ったので、無言で挨拶する。
「おまえ、何を気合入れてこいでるんだ?」と運転手は笑う。僕も「ボロいトラックやなあ」とつられて笑う。こうやってずっと並んで走り、ニコニコ笑い合っているのも楽しげだが、僕は最後の力をふり絞ってダンプを追い抜かし、ダムに到着した。
間もなく陽が暮れる。暗闇になる前に街に帰らなければ危険だ。ここに居られるのは30分が限度だ。だが、このダムに着いた途端、もはや、ダムなんかどうでもよくなっていた。いや、最初からそんなことどうでもよかったのかも知れない。東京から上海、上海から昆明、そして西双版納まで来た僕は、その距離を楽しんでいた。その風景や人々や出来事…人なつっこい小僧のオリエンタル・スマイルや、ライフル銃の意味する疎外、言葉のない一瞬のコミュニケーション、暑さ、雷鳴、そんな出来事によって実感される距離感。西双版納での最後の一日の終りに、僕はもっと遠くに行きたいと思ったのだ。そして、このダムがそのゴールになった。
帰り道は遠かった。ずっと立ちこぎで帰った。そして次の日には夜行バスが待っていた。帰らなくてはならなかった。
part3
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